当法人について

ご挨拶

晩秋の候 皆様方におかれましては、益々ご発展のこととお慶び申し上げます。

さて、本会は、山鹿市出身で地質学の専門家として京都大学及び近畿大学で教鞭をとった冨田克敏と令和3年2月まで山鹿市長を務めた中嶋憲正を中心に、令和4年4月12日に設立登記がなされた一般財団法人です。会の性格等につきましては、下記のとおりですが、これから「菊池川王国」復興を目指し、積極的に活動してまいります。皆様方におかれましては、ご理解と今後のご支援をどうぞよろしくお願いいたします。

会長 冨田 克敏

理事長 中嶋 憲正

背景

熊本県菊池川流域は、人類史の後期旧石器時代(約3万年前)から現代まで、連綿として途切れることなく、豊かな個性ある暮らしを構築してきた輝かしい歴史をもつ。

特に弥生時代(約2400年前)から古墳時代(約1500年前)にかけて、九州北部から中部地域には大きな古代地域王国がいくつか存在し、その中には菊池川流域に存在した巨大地域王国(本会では「菊池川王国」と称している)も含まれると考えられている。このとは、国史跡である「方保田東原遺跡」の部分的発掘調査と国指定重要文化財を含む多くの出土品、および流域内の多くの史跡群から日本の考古学界でも広く知られるようになってきた。さらに、邪馬台国九州説では、筑後川・矢部川流域の地域王国群とともに「菊池川王国」は「邪馬台国」を形成し、主要王国のひとつであったとの主張もなされている。

日本国成立(飛鳥時代)以降も菊池川流域には古代山城(鞠智城跡)や条里制後条里制跡など重要な歴史遺産が存在し、中世(平安~鎌倉・室町時代)では、中部九州に広く勢力を伸ばした「菊池一族」関連の遺跡が広く分布している。

また、近代(江戸時代)では菊鹿盆地産の菊池米は大阪船場の米相場の指標となるほど高品質であった。この菊池米の流通を担った菊池川水運にかかわる遺跡も随所になる。近世(明治時代以降)においても、地域の自然環境を活用した殖産興業が創意工夫されて拡げられ、その代表的なものが養蚕・製糸業であり、その生産量と品質において広く知られて流域を豊かにして、人々の暮らしと文化及び教育水準を高める基礎となってきた。

しかしここ半世紀以上にわたって、日本社会では高度な経済成長を遂げ、生活スタイルは大きく変革したが、生み出した富は大きく偏在し、大都市と地方に極端な格差が生じた。菊池川流域も例外ではなく、地域に暮らす人々の夢と希望を奪い、先人の築いた輝かしい歴史的遺産は消滅の危機に瀕している。

今こそ、地域で暮らす人々とその地域に関係のある人々が英知と力を結集し、地域活性化のうねりを醸成することが必要であり、手始めに先人が築いた輝かしい歴史をひもとき、見つめなおすことから始める必要があると考えている。

設立の趣旨

菊池川流域の振興、活性化を進めるためには、流域住民のエネルギーを引き出し、高めることが第一歩である。そのためには流域住民の菊池川流域に対する「誇り」と「愛」を心深く根づかせることができる取り組みが必要であり、まずは、類まれなる菊池川流域の資源を活用した先人の歴史を学び、その偉業の一端にふれることから始める必要があると考える。

具体的には、菊池川流域の自然と先人の足跡を発掘調査し、証拠に基づく正確な自然の姿と人々の歴史を探求する活動を実施する必要がある。

そのためには、志を持って活動する人々を物心両面から支える主体がなければならず、そこで令和4年4月12日「一般財団法人菊池川流域文化教育振興会」という、菊池川流域の志を持つ人々と流域にルーツを持つ人々ら志を同じくする者が集い、それぞれの「力」を持ちよることができる場を創設した。

設立の目的

菊池川流域において、流域の自然と歴史を探求する活動と流域の活性化を青少年の育成を推進する活動を物心両面から支えることを目的とし、目的達成のために以下の事業を推進する。

当面の活動

令和4年度事業として、国史跡「方保田東原遺跡」に近接する「馬見塚古墳群5号墳」の試掘を学術調査として実施する準備を進めている。準備が整い次第、試掘調査を実施(令和5年度予定)し、調査結果に基づき本格調査の実施を検討することとしている。

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